大きくない電材屋さんの未来
APIなんていらない。 モノタロウで検索すれば済む話だ。 ただ、それを毎日やる人間の頭が、先に摩耗する。 70歳が見えてきたあたりで、「バイトでもするか」と思った。 年金の足しというより、手を動かしていないと頭が鈍る気がしたからだ。 ハローワークを覗くと、「VBAできる方」という求人が目に入った。 こういう募集は嫌いじゃない。 だいたい、現場に“まだ言語化されていない不便”が残っている。 住所を頼りに見に行くと、電材屋だった。 看板は年季が入っている。 シャッターの音も、どこか昔のままだ。 こういうときは、とりあえず会社名で検索する。 ——それらしいホームページが出てこない。 営業時間も、在庫の傾向も、強みも分からない。 外からは、何も見えない。 普通ならここで終わりだ。 「やめておこう」と判断するのが自然だと思う。 でも、ここで妙なスイッチが入る。 ——この店、どうやって生き残っているんだ? エンジニアの癖だろう。 壊れかけているものを見ると、「なぜ残っているのか」を考えてしまう。 中を覗くと、想像通りの風景だった。 カウンター、電話、そしてFAX。 在庫は整っているようで、どこか人に依存した秩序で回っている。 昔ながらの、ちゃんとした電材屋だ。 かつてこの業態は強かった。 在庫を持ち、すぐ出せて、掛けで売れる。 現場はそれに依存していたし、それで回っていた。 だが今は違う。 モノタロウで品番は引ける。 Amazonで翌日には届く。 価格も比較も、ほとんど摩擦がない。 在庫・物流・信用。 かつて一体だった強みは、ばらばらに切り分けられて、別の仕組みに置き換わった。 外から見れば、もう勝負はついているように見える。 札幌には、きちんとした老舗の電材卸もある。 在庫も信用もある、“正しく勝ってきた側”の会社だ。 だから余計に思う。 ——なぜ、こういう店がまだ残っているのか。 現場は今日も動いている。 電線は引かれ、器具は取り付けられる。 そのどこかで、この店の伝票が切られている。 合理的に考えれば消えているはずの店が、 なぜか現場の中ではまだ機能している。 おかしいのは、店ではなく、見方の方かもしれない。 そしてもう一つ、確実に言えることがある。 この店には、「人間が頭でやっている作業」が、まだ大量に残っている。 モノタロウで検索すれば済む。 それは正しい...
